2026/05/27
「リーダーが背中を見せていれば、部下は自然と立派な人になる」
これは、儒教の祖である孔子の「論語」に代表されるような、人間の善性を信じる「性善説」の考え方です。
ビジネスや教育の世界でも、「背中を見て学べ」という言葉は今でもよく使われていますよね。
かつての私も、この理想を追い求めていた時期がありました。
「一所懸命に背中を見せて、信頼して任せれば、きっと伝わるはずだ」と。
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。
はっきりと言えば、私は「論語」の理想に裏切られたのです。
信頼して任せた結果、綻びが出る。
目を離した隙に、楽な方に流れてしまう。
多くの人と向き合い、組織の舵取りをしていく中で直面したのは、決して綺麗事だけでは片付けられない生々しい現実でした。
「人は楽な方に流れる」という前提から作るルール
そこで私は方針をガラリと変え、「韓非子(かんぴし)」の思想に傾倒していきました。
徹底した「性悪説」のリアリズムです。
ここで言う性悪説とは、人間を悪人とみなす意味ではありません。
「人は放っておけば、どうしても楽な方に流れてしまう弱い生き物だ」という、人間の本質的な弱さをそのまま認めるということです。
・今日くらいはサボってもバレないだろう
・面倒なチェックだけど、今回は省いてしまおう
・自分一人くらい、ルールを守らなくても影響はないはずだ
これらは特別な悪意ではなく、誰もが持っている弱さです。
経営者が従業員を盲目的に「信用」してすべてを丸投げしてしまうのは、一見すると美しい信頼関係のようですが、実は経営者としての役割の放棄であり、非常に危険な状態だと言わざるを得ません。
従業員を「信頼」するが「信用」はしない。
人は流れるものであるという前提に立ち、組織の中に「流れたくても流れない仕組み(規則)」をあらかじめ組み込んでおく。
これこそがトップの責任だと思い、私は「徹底的なルール化」と、それを支える「信賞必罰」の仕組み作りに邁進しました。
ルールを逸脱したときは、明確な基準に基づいて毅然と正す(罰)。
逆に、ルールを遵守して組織に貢献した成果には、正当かつ透明性を持って報いる(賞)。
この両輪をガチガチに固めて運用することで、組織としての統制は確かに取れるようになりました。
ですが、このシステムで数年経つと、新たな問題点が見えて来たのです。
ルールだけでは、次代(人)が育ってこない
韓非子の言う通りにルールを厳格化し、仕組みで縛れば、確かにミスや不正は減ります。
しかし、それだけだと今度は「次代(人)」が育ってこないのです。
指示されたルールは守るけれど、それ以上の指示待ち人間になってしまう。
失敗を恐れて小さくまとまってしまう。
ルールで縛るだけでは、人間の内面的な成長や、自発的に素晴らしい人間になろうとするエネルギーを引き出すことはできないのだと痛感しました。
「仕組み」は組織を守るために絶対必要。
だけど、それだけで人間はなんともならない。経営として「教育」を絶対に捨ててはいけない。
そう思い至ったとき、私の思想はもう一歩先へと進みました。
それが、論語(性善説)と韓非子(性悪説)の架け橋となった思想家、「荀子(じゅんし)」の存在です。
弱さを包み込むルールと、可能性を伸ばす教育
荀子はこう説きました。
「人の性は悪(弱い)なり、その善なるものは偽(ぎ:後天的な努力・行為)なり」
人は生まれつきは弱い(楽な方に流れる)かもしれない。
けれど、環境(ルール)を整え、そこに後天的な努力と「教育」を施すことで、人はいくらでも善い方向に変わることができる、という境地です。
私の思想の変遷は、まさにこの歴史の歩みそのものでした。
1 論語(理想): 「人は放っておいても善くなれる」と信じて裏切られる。
2 韓非子(現実): 「人は流れるもの」として、信賞必罰のルール作りに舵を切る。
3 荀子(昇華): しかしルールだけでは人が育たないため、「強固なルール(環境)」で弱さを守りつつ、「教育」で人の可能性を最大化する。
私にとってルールを作ることは、人間を否定することではありません。
むしろ、人間の弱さを包み込み、誰もが道に迷わず、安心して成長できる「土壌」を整えることに他ならないのです。
強固なルールという防波堤があるからこそ、その中でスタッフは安心して教育を受け、個人の能力を最大限に発揮し、人として、ビジネスパーソンとして成長していくことができます。
感情論や精神論だけで突き進む組織は脆いです。
だからこそ、私たちは徹底的に現実を見据え、ロジカルに仕組みを重んじます。
しかし、その仕組みの真ん中にいる「人間」の成長を、誰よりも信じて教育し続ける会社でありたいと思っています。